2014年02月01日

尊い犠牲の上に成り立つ平和って最高やね!『永遠の0』

『永遠の0』を観た。



原作者・百田尚樹による原作本は読んだこともないけど、ご本人のTwitterだのなんだのを読む限り、あまり好きになれないタイプの発言をする人だなと思った。
ストーリーは「かの戦争による特攻が如何に悲惨で愚かな作戦だったか」を描くという今までさんざん見てきた内容だった。

司法試験に落ち続け目的を見失っていた健太郎(三浦春馬)は亡くなった祖母の四十九日の後、祖父・賢一郎(夏八木勲)から「自分は本当の祖父ではない」事を聞かされ、実の祖父は先の戦争で特攻隊員として死んだということを知った健太郎はフリーライターの姉(吹石一恵)とともに祖父・宮部久蔵がどんな人間だったのかを調べようと、存命する関係者に会って久蔵の話を聞くのだが返ってきたのは「あの男は海軍一の臆病者だった」という蔑みの言葉であった。元戦友から語られる祖父の人物像に幻滅する健太郎だったが、調査を進めていくうちに「立派な人だった」と語る関係者が現れ、語る人ごとに異なる生前の久蔵の姿に戸惑いを覚えるのだった。


この映画は証言者の話を三浦、吹石が黙って聞き続けるという展開を繰り返し、その間回想シーンとして岡田准一演じる海軍パイロット・宮部久蔵と戦友たちの物語が語られるというスタイルである。監督は山崎貴なので物語は子供でもわかるように語られる。登場人物が何を考えているかは全部その人物が語ってくれる。ミッドウェー海戦に空母・赤城に乗って参戦した久蔵は九七艦攻に魚雷再装填作業が始まり、取り外した爆弾が散乱していた際にも「これじゃ危険だ!」と口に出して叫び(空母赤城の沈没原因は米軍機の攻撃による爆弾への誘爆であった)、無謀すぎる長距離作戦を強いられた時には「遠すぎる!」と素直に口に出して戦友から「お前は非国民かー!」と殴られるのであった。
ほとんど紙芝居のようなやり取りは誰にでも話がわかるようにするための措置かも知れんが、映画なんだから、そういうのはセリフを削って演出してくれよ!山崎貴の映画はいつもこうで泣いてる人がいると「私悲しくて泣いてるんですー!」とわめき、怒っている人は顔を真赤にして時には湯気さえ出しながら「俺は怒ってるんだぞー!」と怒髪天を衝くのであった。子供にモノ教えてるんじゃないんだから、そんなのいちいち言わなくたってわかるよ!!
言わなくてもわかるところはさんざんセリフで説明し、どうでもいいところに一生懸命CGを駆使して無駄に描くという山崎貴映画の問題点は今回も払拭されず、特にラストの三浦春馬が傍を通り抜ける一塵の風を感じ、空を見上げると特攻に行く時の岡田准一が操る零戦が飛び去っていくんだけど、こんなのわざわざCGで描かなくたって風が吹き抜けていくのを表現するだけで充分だよ。映画監督なのに演出で表現せずに言葉を尽くして膨大なCGで重ね塗りしていく山崎演出はどうも理解できん。

そしてこの映画の「特攻及び戦争を美化する描写」という最大の問題点が残る。井筒和幸監督も
「今の平和が特攻隊員の犠牲の上に成り立っている、という考えが嫌い。戦死した兵隊の命の上に尊い平和が成り立っているって、生き残った人がもっとたくさんおったらそれで平和になっとるやろ!」
みたいなことをアサ芸の連載で語ってたけど、まったくその通り!百田のような「犠牲を強いて平和を築く」タイプの人間は決して自分が尊い犠牲になることはないのでいくらでも寝ぼけたことが言えるのであろう。放送作家が日本軍を創設しろと言ったり、安倍晋三と嬉しそうに対談しているのってなんなの??

こんな右翼プロパガンダ映画がそうとは悟られずに大ヒットしていく様を見ていると徴兵制成立まで一歩手前という感じがしてならない。


岡田准一がCMキャラクターをしているひらパーの便乗ポスター。映画より笑える。  


Posted by 縛りやトーマス at 01:27Comments(0)映画