2015年12月26日

真理にたどり着くただひとつの方法『完全なるチェックメイト』




 アメリカで初めてチェスの世界チャンピオンとなったボビー・フィッシャーの半生を描いた映画である。彼がなぜ不世出の天才と呼ばれ伝説となったのか。それは彼がただチェスの天才だったからではない。狂気の天才だったからだ。

 ボビーの母親は共産主義者で自宅には同志が頻繁に出入りする。おかげで自宅はFBIに毎日監視されていた。ボビーに構わない母親は姉にボビーの相手をさせ、チェス盤を買い与える。ボビーはチェスにのめり込む。チェスにハマるボビーの将来を心配した母親はチェスクラブの経営者にボビーと対戦させる。大人にコテンパンに負ければチェスへの興味を失うだろうと。母親の思惑通り惨敗したボビーは泣きべそかいて席を立つが離れがたいものを感じて再び席につく。「もう一度だ」まるで『月下の棋士』で主人公・将介が元名人のじいちゃんに叩きのめされるが、駒に「もう一度遊ぼう」と語りかけられたように感じて再戦したように。

 やがて大人を打ち負かすほどになった彼の実力に舌を巻くチェスクラブの経営者。「お母さん、彼にチェスを止めさせてはいけない」クラブに通い詰めるようになったボビー(トビー・マグワイア)は当時の史上最年少・15歳でチェスの称号・グランドマスターを手にする。後は世界チャンピオンになるだけだ!

 IQ187、150手先が読めるとまで言われたボビーは明らかにチェスの天才だったが突拍子もない言動と自由奔放な性格で周囲を煙に巻く。1962年のブルガリアで行われたチェス・オリンピアードでボビーは試合を棄権して引退を宣言する。「ソ連の選手は俺に勝たせないようドローばかり繰り返している!」チェスは勝つとプラス1.5ポイント、負けるとマイナス1.5ポイント、ドローは両者に0.5ポイントずつを加算するのでドローを狙っていくのも戦法のひとつなのだがボビーはソ連の選手たちが結託してボビーにポイントを稼がせないようにしているとクレームをつけた。

 帰国したボビーの元に「チェスが好きな愛国者」と称する弁護士、ポール・マーシャル(マイケル・スタールバーグ)が現れ、ボビーの望みが叶うように交渉する代理人になりたいと言う。
 「代理人になって何が欲しいんだ?金か?」
 「私は愛国者なんだ。君に世界チャンピオンになって欲しいだけだ。無償で引き受けるよ」

 世界舞台に復帰したボビーは連勝を重ねカリフォルニアで行われたソ連選手団との親善試合に挑む。選手団のナンバーワンであり現世界チャンピオンのボリス・スパスキー(リーヴ・シュレイバー)が豪華なリムジンで会場に向かい、付き人を何人も従えて高級ホテルに泊まっているのを見たボビーは「リムジンに乗せろ」「もっと高級なホテルを用意しろ」「報奨金をもっとよこせ」を無茶な要求をつきつける。ポールはすべての要求が通るように交渉し、対局の席につくボビー。しかしスパスキーとの勝負には惨敗してしまう。

 その後引退と復帰を繰り返すボビーは1972年、27歳の時に再びスパスキーへの挑戦権を得る。決戦の地アイスランドのレイキャビクに向かおうとするボビーは完全に壊れていた。ホテルの電話をバラバラにして「ソ連に盗聴されている」といい、「ユダヤが世界を支配しようとしている」と陰謀論に染まっていた。ボビーはアイスランドに向かう飛行機に乗るため空港へ向かったが待ち受けていた取材陣が向けたカメラのフラッシュに激怒して帰ってしまう。

 自宅に引きこもるボビーの元にポールが一本の電話を取り次ぐ。相手は当時のアメリカ大統領、ニクソンの補佐官キッシンジャーだ。「大統領と私は君が米国のために戦うのを期待している」と告げられたボビーは飛行機に乗り込む。


 天才だがワガママで傲慢なボビーになぜ代理人が無償で支え、大統領までもが機嫌を取ろうとするのか?『ラストサムライ』などで知られるエドワード・ズウィック監督はその背景に迫る。ボビーが活躍した当時は東西冷戦のまっただ中。24年間もチェスの世界チャンピオンを独占していたソ連勢になんとしてもアメリカは勝ちたかった。ソ連にとってもチェスの世界チャンピオンを排出し続けることはただ「チェスが強い国」というだけではない。「ソ連という国家のシステムが優れているから世界チャンピオンを生み出せる」ということを主張することができるからだ。

 ボビーとスパスキーの対戦は単なるチェスの試合ではない。アメリカとソ連の武器をつかわない国家間の代理戦争だった。だから周囲の愛国者たちはボビーに熱狂的な声援を送っていた…という真理をこの映画は暴いている。
 しかし当のボビーは愛国とは正反対の思想を持ち、世界チャンピオンになった後も隠遁生活を送り、ユーゴスラビアでスパスキーとの再戦を行ったことで国籍を剥奪したアメリカ(当時、アメリカはユーゴスラビアに経済措置をとっていた)と決別し、世界各地を放浪した。晩年はスパスキーから世界チャンピオンを勝ち取ったアイスランドで暮らし、静かな余生を送ったという。彼は名誉的価値観で判断すれば国家の英雄だが、正体は一点の曇りもない反体制のアンチヒーローだ。そんなボビーを「心を病んだ天才」の演技をさせれば世界一の男、トビー・マグワイアが完璧に演じきる。

 この映画はハリウッド映画ではありがちの「心を病んだ天才のそばには彼を献身的に支える恋人の存在があった」ような展開には落とし込まない。何しろボビー・フィッシャー本人は生涯独身で(晩年は日本人と事実婚の状態だったというが、劇中カリフォルニアでの試合で陽気なカリフォルニア娘に声をかけられるまでは童貞だった!普通ならこの陽気なカリフォルニア娘がボビーを献身的に支える存在になるはずが、ボビーは単に童貞を捨てたいだけだった!この後、彼女は映画にほとんど出てこない!なんとアンチハリウッドな!!エドワード・ズウィックは完全にボビーに心酔しているのがわかる。

 ラストはアイスランドに到着したボビー・フィッシャーへのインタビュー映像で映画は幕を閉じる。ボビー(本人の記録映像)は語る。

 「チェスは人間の真理にたどり着く唯一の手段だ」

 つまり、真理にたどり着くのに女の愛などいらぬ!!ということですね!これをクリスマスに公開した日本の映画会社はさすがだとしか!


  


Posted by 縛りやトーマス at 20:02Comments(0)映画