2019年07月08日

お祈りに意味はあるか『僕はイエス様が嫌い』



 この映画の監督、奥山大史はなんと22歳だという。22歳の人間が撮ったとは思えないような内容だし、熟練のベテランじみた演出で唸らされる。

 小学生の由来(佐藤結良)は東京から雪がつもる地方の学校へ転入してくる。その学校はミッション系で、毎日礼拝を欠かさず、ひとりひとりが自分だけの聖書を持っていて、賛美歌を普通に歌えるほかの生徒たちをなんだか「気持ち悪い」と思ってしまう由来には中々友達ができない。ある日、礼拝堂でひとり信じてもいないイエス様に「どうか僕に友達ができますように」とお祈りする由来の前には小さな小さなイエス様(チャド・マレーン)が現れる。
 イエス様は浮かび上がって消えてしまう。礼拝堂から外へ出た由来は小屋から逃げた鶏を追いかけるクラスメートの和馬くん(大熊理樹)を見つけ、鶏を一緒に捕まえる。サッカーは好きかと聞かれた由来は和馬くんとサッカーを通じて友達になる。転校してから元気のなさそうだった由来は食卓で和馬くんの話をするのを見た両親やおばあちゃんは顔をほころばせる。
 それからというもの、祈りを捧げる由来の前に度々イエス様は現れるようになり、ほんのささいな願い事をかなえてくれるように(本当に、ものすごく小さなことだけかなえてくれる)。


 チャド・マレーンがイエス様という配役は意外すぎるように思えたが、画面の中で小さなイエス様がちょこちょこ動き回って、由来がトントン相撲させたり(なにさせてんの)するのを見て、ほっこりした笑いが漏れてしまい、もうチャド・マレーンはどうしたってイエス様にしか見えなくなる。由来や和馬くんをはじめとする小学生たちの演技がなんとも可愛らしいのだ。奥山監督はシーンのシチュエーションだけを与えてセリフはアドリブをさせたといい、それぞれの場面にはごく普通の子供が映っているだけなのに、計算しつくされた匂いがするが、隅々まで演出でガチガチに縛っていたらあんな場面にはならないだろう。日常を描いた家族の食卓の場面も素晴らしく(今の家庭はどうか知らないが、かつての家族の日常は食卓からはじまる)、その日常にイエス様という異分子が紛れ込む演出も若手とは思えない。和馬くんのお母さん役の佐伯日菜子の「優しくて綺麗なお母さん」演技も、彼女が色んな経験を経て「お母さん役」を演じているのを見ると・・・涙がこぼれちゃう。


 イエス様のことを信じ始める由来だったが、ある出来事をきっかけにイエス様を疑いはじめる。どんなに祈ってもイエス様は現れないからだ。ようやくあらわれたイエス様を由来は叩き潰してしまう。


 クリスマスのプレゼントを強請る子供だってやがては「サンタなんかいない」という現実を知って大人になる。だが何かのために一心に祈った子供のころの体験が現実であるように、クライマックスはどこまでも浮かび上がっていく俯瞰の映像。イエス様は確かにいたんだ!
 改めてこれを22歳の日本人が監督していることが驚き。


  


Posted by 縛りやトーマス at 15:34Comments(0)映画